みのお物語

みのおてならいでは、箕面の隠れた魅力を取材し、紹介してまいります。第1回目は陶芸「箕面焼」。印象的な「赤」、そのくれないが生まれた物語をお読みください。

 

陶芸「箕面焼」をたずねて 初代から当代に受け継がれる真紅

みなさんは「箕面焼」と呼ばれるやきものをご存じですか?

 

箕面大滝へ向かう道、窯を開かれた往時のまま、銅板葺きの小屋根に美しい緑青(ろくしょう)に彩られた、趣きのある「箕面焼窯元」の看板が見えてきます。店には、紅葉のように真っ赤なやきものがずらり。

さて、この箕面焼。インターネットで調べてみても、箕面市の特産品サイトのほかは、オークションサイトでの掲載情報ばかり。しかも、箱書にある初代箕山(きざん)の本名「松田志與(まつだ しよ)」の 「與」が、「与」の旧字体とわからず、草書で書き付けられたその文字を「典」と読み間違え、あろうことか、その多くが「松田志典」と誤って掲載されています。

 

みのおてならいのスタッフがそうと気づき、ことの真相を伺いたいとの思いで、窯元を訪ねることから取材がはじまりました。

 

わが町箕面が誇る知っているようで知られていない陶芸「箕面焼」に出会い直し、その隠れた魅力をお伝えしたいと思います。

 

その日、出迎えてくださったのは、優しく穏やかな佇まいの、二代目箕山、勲(いさお)さんと、笑顔が素敵な奥様、悦子(えつこ)さん。

 

初代箕山 松田志與女(まつだ しよじょ 接尾の「女」は女性の名や号に付けて用います)は、悦子さんのお祖母様です。

 

悦子さんのお話によると、大和は葛城山の麓に生まれた志與さんは、16歳の頃、白髭のお爺さんに道を尋ねられます。

 

「18歳になったら北西に向かっていきなさい。あなたが求めているものが掴める」。

 

その言葉に導かれるように、18歳で結婚し、幾度かの転地の後、はからずも葛城山の西北にあたる箕面の里に住まうことに。

はじめは瓢箪細工などを販売していた志與さんですが、やがて箕面の山々の美しい紅葉の色をやきものに現したいとの思いを抱き、大正10年(1921年)初代箕山として箕面窯を開きました。

 

箕面連山を歩き、土を探し、釉に悩み、試行錯誤を繰り返すこと20年、ようやく念願の“赤”が完成。

 

あたかも紅葉の間を滝が流れ落ち飛散するように、赤と白が混ざりあい、箕面の秋深い風景を写しとったような作品を創り上げたのです。

 

親交の深かった阪急東宝グループの創業者 小林一三(こばやし いちぞう)からは「あんたは偉い。世界中にない色を出した」と賞賛され、世界初といわれたターミナル・デパート阪急百貨店に展覧されました。

 

小林一三自身も作品を購入し、現在、逸翁美術館にも収蔵されています。

 

文藝春秋社を創設した作家 菊池寛(きくち かん)は、陶芸に専心する初代志與さんを何かと励まし、「あなたの話は小説になる」と、いろいろな話を聞き、構想を練っていたそうですが、残念ながら執筆前に鬼籍に入られました。

 

 昭和31年(1956年)11月には、大阪府から連絡を受け、当時関西に行幸啓(ぎょうこうけい)されていた昭和天皇皇后両陛下に天覧を賜り、以後、皇族の方々への献上や、国内外各界の方々への贈呈品として重宝されています。

 当代の二代目箕山氏は、昭和14年(1939年)に生まれ、18歳から修業を始めました。

 

当時、すでに作陶から離れていた初代からは、教えられないから自分で習得するようにと言い渡され、サントリーの創業家 鳥井家の御庭焼(おにわやき 自邸の窯)の窯に行き、たった2日間でろくろを習います。

 

そして初代が亡くなるまでのわずか2年間で、陶芸の基礎や箕面焼の技術を継承。初代亡きあとは、各地の窯元を訪ね、磁器や絵付、黄瀬戸、唐三彩など様々な技法を学びました。

 

初代からの箕面焼を守りつつ、多様なやきものを習得し、独自の作陶を続けた二代目。数十年を経て、初代の赤を極めるべく、秘伝の土と釉をもとに、さらに鮮やかさを増し、全体が真っ赤な肌合いの、新たな箕面焼を生み出します。

 

こうして、志を受け継ぎ、丹精込めて創られてきた箕面焼。最後に、赤心焼(せきしんやき)とも呼ばれた、まごころ(赤心)を移したやきものにまつわる不思議な出来事やエピソードをご紹介します。

 

ある時、店頭の陳列ケースに車が衝突。怪我人こそ出なかったものの、飾り棚は破壊され、看板も真っ二つ。にもかかわらず、道端に転がり落ちた数十万円もの高価な茶碗や花瓶は、ひとつとして割れていませんでした。

 

壁面をも覆う店内の作品群は、なんと阪神淡路大震災、大阪北部地震をはじめとする大震災にも、小皿一枚落ちることも割れることもなかったといいます。

 

それどころか、地震に怯え、助けを求めて店内に駆け込んだ老婦人が、箕面焼をひと目見るなり笑顔を浮かべられ、「心の底から力が湧いてきて嬉しい気持ちになった。この気持ちをみなさんに伝えてほしい」と言い残されたこともあるそうです。

 

汗血馬(かんけつば 一日千里を駆け、血のような汗を流すといわれる中央アジアの名馬)の置物は、難関校への合格や、重要な試合での勝利をもたらし、まさに開運の飾り駒として親しまれているのだとか。

 

また、落雷の直撃を受けた当代が無傷だったり、悦子さんが、何度も他人の生死に関わる事態を救ったり、御守として持っていた人が震災を免れたり……。

 

土に心を与えると書いて「志與」。

 

その名の通り、陶芸家になるべく生まれてきたような志與さんを、箕面へと導いた白髭のお爺さんは、葛城の神様、託宣の神といわれる一言主神(ひとことぬしのかみ)か、はたまた役行者(えんのぎょうじゃ)か。

 

生前志与さんは、「箕面焼は神様からいただいたのよ」と仰っていたそうです。

 

 

みなさんも、ぜひ一度手にとってみてください。大きな力に護(まも)られた箕面焼が、小さな奇跡を起こしてくれるかもしれません。

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コメント: 1
  • #1

    Naoko (木曜日, 27 12月 2018 12:46)

    素晴らしいエピソードのご紹介をありがとうございます✨
    作品を拝見したくなりました。